先日、大学の先生と「豊かさって何だろう」という話になった。「平和と発展」というタイトルで勉強している事情、この疑問をしばしば自分に投げかけることがある。ただ、いつもその途中で挫折してしまい、答えにはたどりつかない。先生と話していたときも結局、胸の奥につっかえていた小さなしこりは取れなかった。
先生「いつも発展っていう言葉を耳にするけれど、発展って何だろうね?」
僕 「何でしょう。例えば日本は発展していてカンボジアは発展途上とよく言われますよね。」
先生「でもそれって本当かな?」
僕 「カンボジアを旅しているときには、ipodで音楽を聴いている人や超高速で走る新幹線なんかは見ませんでした。日本のほうが技術的に上ということは確かですよね。」
先生「それは間違いないね。」
僕 「『発展』っていう言葉はちょっと胡散臭いと思いませんか?」
先生「と言うと?」
僕 「だって、コンクリートの塊の中に普段住んでいて、鉄の塊に乗って会社へ行く。その生活に疲れたら海外旅行へ行って、『やっぱり海外はいいなぁ』って言うんです。それって、どこか矛盾してませんか?」
先生「『豊かさ』の問題だね。」
僕 「そうなんですよ。日本人のほとんどが「豊かさ」を手に入れるために、一生懸命働いてきました。そして、その過程で森を切り開き、工場を建てたり、街をコンクリートやアスファルトで綺麗に整備してきました。つまり、日本は自然とゆったりした時間をどこかに置き忘れてきました。これって『豊かさ』といえるんでしょうかね?」
先生「どうかな?」
僕 「カンボジアの貧しい地域に住む人々は家族で家事を分担し、いつも自然の中で暮らしています。日本の会社員がどんなに頑張って長期休暇をとっても、1週間家族と一緒にいるのが精一杯ではないでしょうか。カンボジア人の方が日本人よりもはるかに家族と一緒に時間を共有できていると思います。そして何よりも彼らは日本人が憧れる程の自然を持っています。この点ではカンボジア人のほうが日本人よりも『豊か』ですよね。」
先生「『開発』って言うと、森を切り開いて道路を造ったり、牛を使って畑を耕している人に、トラクターを勧めたりっていうことをイメージしちゃうけど、これも本当は間違っているのかもしれないね。」
僕 「日本人はよく、彼らの生活を『悲惨』で『可哀想』と理解するばかりで、決して彼らから学ぼうとはしない。日本は『発展』しているので誰かにそれを教えてあげなきゃならないと思い込んでいるように僕は感じます。先生が正しいと思い込んでいる事を、生徒が間違っていると指摘したとき、先生は何と答えるべきでしょうか。自分の意見を通すべきでしょうか。僕は一度踏みとどまって、生徒の話をよく聴くことが大事だと思います。日本はそんな先生になったらいいんじゃないでしょうか。」
先生「なるほど。『発展』と『豊かさ』って違うってことかな。」
どちらが、豊かな国だと思いますか。僕にはまだわかりません。