人口、経済の概況
インドネシアの人口は約2億7千万人、増加率は減少しつつあるが、過去10年で平均年1.3%程度増加しており、今後も少しずつ増加していくと予測されている。人口構成は、15歳未満26%、生産年齢人口68%、平均年齢30歳若い人口ピラミッドで、労働力人口も増加していく国である。今後、20年は労働市場に若い新規就労者が参入すると考えられ、雇用が創出されなければ若年失業率の上昇等が予想される。労働参加率は68%前後で安定的に推移しており、労働力人口は右肩上がりとなっている。失業率は2010年に7%台であったものが、コロナの影響が現れると少し高くなるであろうが、直近の2019年8月には5%程度へ低下してきた。人口の絶対数が多いので、失業者数は約7百万人に上る。失業率を年齢階層別に見ると、若年層が顕著に高いことがインドネシアの特徴で、24歳未満の失業率が18%台であるのに対して、25歳以上は2 – 3%である。これは社会保険だけでは解決困難な問題である。雇用保険制度は創設されたが、就業経験の少ない若年層への裨益は限定的な可能性が高い。キャリアの安定したスタートが難しい国となっている。失業者の内、就業経験のない者が約半数であり、これは雇用保険ではカバーできないが、雇用政策上は大きな課題である。就業経験のある失業者の年齢構成をみると、約7割が35歳未満となっており、職業生涯の後半になると比較的安定してくる状況となっている。
男女別の状況をみると、労働参加率は、男性83%に対して、女性は52%と低く、雇用政策上は課題である。一方、失業率は同程度となっている。
また、自営業等を含むインフォーマルセクター労働者の割合は55%程度となっている。フォーマルセクター労働者の割合は上昇してきたものの、2010年頃から改善が停滞し、ここ数年はインフォーマル労働者比率が55%前後となっており、これらの労働者にどのように社会保険を適用するのかというのが大きな課題となっている。
経済成長は、コロナの影響で直近は低下すると予想されるが、2010年から2019年まで5%台で安定的に推移しており、今後もこのような状況が継続するものと考えられる。
社会保障制度
インドネシアの社会保障は、保険料で賄われる社会保険と一般財源で賄われる社会福祉(社会扶助)に分けられる。ILOは、労働省とBPJS労働(労働社会保障公社)という労働関係の社会保険担当機関と仕事をすることが多い。この機関が担当している制度としては、労災保険、死亡保障、確定拠出型の老齢退職金、確定給付型の年金(2016年創設)に加え雇用保険制度ができた。雇用保険は、昨年10月に法律可決、本年2月に施行細則決定された。
これ以外に、国民皆保険を担当する保健省とBPJS保健(保健社会保障公社)が実施する健康保険と税財源を投入した貧困層を対象とする健康保険、社会省が一般財源により貧困世帯の子ども支援を目的とする現金給付(生活保護)や食糧支援、貧困高齢者給付、重度障害者給付、教育省による貧困家庭生徒児童への給付(就学援助)等がある。また、公務員、軍人・警官には独自の制度があり、BPJS労働は、公務員、警官以外の民間労働者を対象とした制度を担当している。
一般財源による社会福祉は、生活保護が1千万世帯、就学援助2千万人、最多の健康保険料免除者数約1億人と非常に多数に適用されており、インドネシアで社会保障の議論をすると、政府が国民のために支出すべきものという考えが世論になっている。
BPJS労働の所管する社会保険
BPJS労働が所管する制度のうち、最も適用範囲の広い死亡給付と労災保険については、非賃金労働者を含むすべての労働者が強制適用されており、賃金労働者については企業に加入義務がある。最も適用範囲の狭い年金では、大・中企業は強制適用であるが、小・零細企業は任意適用、非賃金労働者は適用除外となっている。この企業の区分は、零細中小企業法で決められており、企業の資産規模に基づいて定義されている。多くの国では、企業規模を労働者数で定義しており、監督官が現場で判断できるが、インドネシアの定義では検査が難しいことが実務上の問題である。老齢退職金では、大・中企業と小企業が強制加入で、零細企業と非賃金労働者は任意加入となっている。雇用保険は、大・中企業と小企業は強制適用、老齢退職金加入を前提に零細企業は任意適用、非賃金労働者は適用除外となっている。
雇用保険については、国会議論において、使用者と政府が保険料を負担し、労働者は払わないこととなった。老齢退職金の保険料率が最も高いのに対して、年金の保険料率は非常に低いものとなっている。建設作業員については、事業毎に加入することとなっており、死亡保障、労災保険について、それぞれ事業費の0.21%を企業が拠出することで、すべての労働者がカバーされる制度となっており、BPJS労働では、個別の労働者の状況については把握していない。
加入企業数は2019年時点で、保険料を納付する企業が68万社となっている。過去5年間で年平均23%増、10年間で17%増となっており、加速度的に加入企業を増やすことができている。加入企業の8割は小・零細企業という状況となっている。加入者数は、2019年で34百万人、特にここ5年間急速に増えている。加入者の9割は賃金労働者であり、非賃金労働者についても、インドネシア版社労士やBPJS労働の努力により、任意加入が増加してきているが、賃金労働者が大半を占めるという傾向は続くものと考えられる。2018年時点の制度別の加入者数をみると、死亡、労災、退職金、年金の四保険すべてに加入しているのは12百万人、全賃金労働者に強制適用の死亡、労災でも30百万人程度に留まっており、改善の余地がある。
国際労働基準と制度改革-年金制度を例に
ILOにおける社会保障の基本は、社会保障(最低基準)(102号)条約であり、9種類の社会保障給付について給付水準、支給期間等について定めており、これに基づいて各国の状況に応じた政労使間の合意等を模索している。最低基準以上を求める場合に備えて、より高次の基準を定めた条約が社会保障毎にある。例えば雇用の促進及び失業の保護(168号)条約では、失業給付のより高い詳細な内容を紹介している。残念ながら、アジアで102号条約を批准しているのは日本のみであるが、ベトナムをはじめとするアセアン加盟国でも批准へ向けて社会保障改革を進めている国が現れ始めているので、批准国が増加する可能性はある。ILOとしての支援に当たっては、批准の有無にかかわらず、この基準の達成を促している。
インドネシアにこの基準をあてはめてみると、健康保険、年金、失業給付と存在し、ほぼ網羅的に制度を有しているが、制度の空白を埋めるため、例えば、病欠と産休については使用者による所得補填が労働法で定められているが、これを社会化し、使用者間で負担を共有していく仕組みを創設するよう提言している。また、最低基準に達していない既存の制度について改善を提言することも多い。例えば、年金では、全賃金労働者の半数適用という基準に対して、強制適用は大・中企業に限られ、賃金労働者約5千万人のうち、適用労働者は約12百万人と別建て制度の公務員、軍人約5百万人であること、年金額も所得代替率40%の基準対して30%であることについて改善を要請している。同時に、これを実現するために保険料をどの程度にするかという提言も行っている。インドネシア政府は2029年まで全賃金労働者への強制適用の大統領令を出しているがロードマップを示しておらす、また、非賃金労働者約8千万人がいることから、国民皆年金の検討を提起している。保険料についても大統領令で8%への引き上げが示されているが、現在の保険料では2058年には積立金が枯渇するので、段階的な引き上げのペースについても議論していきたい。また、受給に15年の最低加入期間が必要なことから当面、通常の年金受給者が現れず、年金のメリットも実感できないため、建設的な議論も進まない。当面の措置として、加入期間が短い者が定年に達してしまった場合について勤続年数加算などを検討するよう提起している。
老齢退職金は、本来確定拠出型の老後に備えた貯蓄制度であったが、2016年の制度改正で一ヶ月失業すれば引き出し可能となり、90 – 95%は自己都合退職や解雇を理由に給付申請されており、本来の老後保障の機能を果たしておらず、逆に5.7%と最も保険料が高いことから、給付が高額となり、離職インセンティブになる等問題が多いことから、改革が喫緊の課題となっている。
社会保険の適用拡大戦略
インドネシアの政労使から聞く、社会保険に対する世間の印象は、多数を占めるインフォーマル労働者にはメリットがない、インフォーマル労働者や貧困層を対象とした税財源による社会福祉を行うべき、保険料は企業や政府が負担すべき、保険料負担のリターンを実感できないので払いたくないといったものであり、社会保険の文化、感覚的な理解を深める方策を社会保障制度に埋め込んでいかないと前向きの議論にならないと考えている。
インドネシアは、これから急速に高齢化していく。2010年には高齢者1人に対して生産年齢人口13人であったが、2060年には高齢者1人に対して生産年齢人口4人となる。年金制度は成熟に時間がかかることを考えれば、その改革は、早過ぎることはなく、喫緊の課題である。40年後に多くの無年金の非賃金労働者を個人貯蓄、家族の扶養、政府の支援で支えることは難しいことを常に説明している。このため、現在のインフォーマル労働者への保護からインフォーマル労働者のフォーマル化等による社会保険の適用拡大へと問いの立て直しが必要となっている。非公式経済から公式経済への移行(204号)勧告では、社会保険の適用を拡大することでフォーマル化を促進するというアプローチを打ち出している。すなわち、社会保険適用企業に入りたくなる制度設計を行うこと一つの方向性となる。しかし、現実には、年金は給付が限定的であり周囲に受給者がいないことからメリットを実感できず、適用範囲が狭いことから富裕層向けの制度と思っている人が多い。老齢退職金は年金同様の老後保障と言われているが、実態は離職した場合に引き出す貯蓄のように使われており、それなら自由に引き出せる銀行預金の方が良いと思う人が多い。社会保険にどのようなメリットがあるのか体験している人は極めて少ない。社会保険が魅力的だと実感できる仕組みに変えていくことを制度設計上、提言する必要がある。
社会保障において税財源を原資とするもの中心とし続けた国はほとんどない。政府が税財源で限定的に貧困層に給付する社会福祉を中心とする時代から社会保険に重心を移していく時代へ変わる時があり、インドネシアもこの分岐点に来ている。同時に、個々の使用者が労働者に何かあったとき負担を行う時代から社会保険により社会全体がリスクを共有し支え合う社会保障へ転換していく過渡期であり、この転換こそ喫緊の課題でもある。限られた税財源に貧困層に絞って分配するやり方では社会保障の適用も広がらない。全国民に適用される社会保障を築くには社会保険を根幹に据えた改革を行う必要がある。これは、財政の持続性やインフォーマル労働者の社会保険完備のフォーマル経済移行促進からも必要である。より裕福な労働者については、例えば、年金で任意加入の三層目による給付の上積みができる制度設計に変えていく等の方策がある。現状、インドネシアは、立ち上げた様々の制度を充実させていく段階に入ってきている。
インドネシアでは、これまで社会問題省と保健省、労働省、BPJS保健、BPJS労働と税財源により社会福祉を実施する機関と社会保険の実施機関とがばらばらであった。今後、例えば、年金について税財源を投入して、インフォーマル経済の人々が加入できる仕組みを創設していくためには省庁間の垣根を越えた調整、予算配分といったこと必要となるが、どの程度迅速に対応できるか課題は大きい。
ILOで年金について議論する際に三層モデルをよく使う。その一層目は、ILOの社会的な保護の土台(202号)勧告の社会的な保護の土台(social protection floor)であり、年金で言えば日本の基礎年金のイメージであり、雇用関係の有無を問わず誰もが加入できる年金制度が必要で、これを軸に社会保険を作るべきであり、二層目として日本の厚生年金のような強制的な社会保険があり、三層目に任意加入等により給付額を上乗せできるような制度を設け、三層を積み重ねることで、それぞれの人々の生活、所得水準に合わせた老後の所得保障ができるというのがILOの考え方である。
これにインドネシアの現在の制度を当てはめてみると、二層目に大・中企業対象の現行の年金制度があり、被用者の中では恵まれた状況にあるものの、ILOの基準からすると所得代替率は低い。老齢退職金は確定拠出の上乗せ、年金と組み合わせれば余裕のある老後を迎えることが出来る制度となっている。前述のとおり、大統領令にあるように2029年までに全賃金労働者に年金の適用を拡大し、給付水準を引き上げるのが今後の方向性となっている。さらに、最も大きな課題は、インフォーマルセクターを含めて雇用関係の有無に関わらず、全国民が加入できる年金制度を創設することである。
大切なのは、社会保険の拡充を通じたインフォーマルセクターのフォーマル化を大きなトピックとする必要がある。即ち、賃金労働者だけでなく、非賃金労働者やインフォーマルセクターを含むすべての国民がカバーされる社会保険制度を目指す必要がある。そのために税財源も活用して、インフォーマルの人たちも加入しやすくした強制適用の国民皆年金制度を設ける必要がある。このためにも、適用拡大、保険料と給付の引き上げ等の制度改正を進めるとともに、勤続年数加算措置を設けて給付体験を持つ人々が国民皆年金議論に参加してもらい、雰囲気を変えていくことが重要である。
また、現役世代に裨益する社会保険制度を導入した方が良い。雇用保険は正にこれであり、現時点で欠如しているのは、産休、病休時の給付である。現在、この所得補填は使用者の責任となっており、これを社会保険化することで労働者は安心して受給でき、使用者もコストを予見できることから両者にとって、Win-Winとなる。このように現役世代に利益のある制度を導入することで社会保険全体の魅力を高めることになり、フォーマル雇用を求めるインセンティブになるであろう。
雇用保険制度
2020年10月に成立した雇用創出を目的としたオムニバス法(投資等ビジネス、労働規制の改革等を内容とする。)により雇用保険制度が創設され、本年2月には施行細則が発表された。54歳以下(退職年齢以下で適用されない可能性がある)のインドネシア国民である賃金労働者で老齢退職金加入者(小企業以上は強制、零細企業は任意加入)に適用し、会社都合退職(自己都合退職及び期間満了の雇止めを含まない)の場合に、離職前24ヶ月に連続する6ヶ月を含む12ヶ月の加入を要件として、当初3ヶ月は直近賃金の45%、続く3ヶ月は25%の6ヶ月間給付を行う。2回目以降は、前回から5年経過を要件としている。
零細企業、建設業の適用、年齢制限、短期労働者を排除する6ヶ月継続雇用要件、雇止めの除外、2回目以降の5年要件等改善すべき点は多い。異例の厳しい条項は、労働者の保険料負担がないことによる政府支出抑制のためかとも考えられ、労働者も保険料を負担し、三者対話の中で声を上げて改善することが必要であろう。