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日本の社会保険労務士制度が社会保険の適用拡大に果たした役割

社会保険労務士は厚生労働省の管轄で弁護士のように独立して活動している。社会保障全般と全ての労働問題が所掌範囲に入る。現在、社会保険労務士は全国に4.5万人いる。毎年国家試験が行われ、合格率は5%程度。難しい国家試験の一つとなっている。

日本の社会保険適用に、社会保険労務士が果たしてきた役割は大きい。日本では1961年に国民皆保険が始まった。制度が始まった当初、保険の加入者は少なく、適用の拡大が課題だった。特に任意適用の事業所では雇用保険への加入は少なかった。労働災害保険は企業の義務だったので加入は拡大したが、任意加入の範囲が大きかった雇用保険に関しては加入が進まなかった。また、この時期には無資格のコンサルタントが手数料を徴収し、社会保険や労務問題の代理を行うケースが増え、悪質な業者による被害も横行した。

これを問題視した政府は、資格を持った社会保険労務士のみ、代行業務を行い手数料を徴収できる仕組みを作った。1968年、社会保険労務士制度が成立。社会保険労務士は、自分のクライアントを増やすために活動し、結果的に法律の実施を支援することとなった。これが日本における社会保険労務士と社会保険の適用拡大の歴史である。

インドネシアと同様に、日本でも中小企業の比率は高い。現在、全企業数に占める中小企業の割合は99.7%となっている(338万社のうち336万社)。ハローワークには3万人の職員が常駐しているが、三百万社もある中小企業をすべて訪問して雇用保険への加入を促すのは現実的ではない。

また、中小企業にとっての課題は、限られた人的資源を社会保険や労務管理に割くことが難しいということ。たとえば、高度経済成長期には、給与の支払い実績を記録せずに現金を手渡ししていた中小企業が多かった。給与額は社会保険料の算出に不可欠な情報だが、中小企業にはこれを正確に記録する能力がなかった。社会保険労務士が給与計算と保険料徴収に係る業務を代行することで、中小企業は社会保険に加入することができた。

このように、社会保険労務士が事務手続きを代行することで、中小企業への社会保険適用拡大を担ってきた側面がある。これによって中小企業は人的資源を割く必要がなく、社会保険労務士は政府にとっても適用拡大を担ってくれる存在となった。こうしたWin Winの関係によって、日本の社会保険制度の適用拡大が実現した経緯がある。

厚生労働省の職員で労働基準監督官の資格を持つ人が3,000人。そのうち2,200人程度が労働基準監督の業務に従事している。この規模の人数で三百万社以上の企業を訪問することは不可能。実態としては、地方労働局は積極的に企業訪問するのではなく、通報があってから労働基準監督官が企業へ出向くことが多い。

社会保険労務士は労働基準監督官のように取り締まりは行わない。むしろ、社会保険労務士は、労働基準監督官が調査を行っても労務管理に問題がないように企業を育てていくのが仕事。社会保険労務士が日常的にクライアント企業の労務管理を支援することで、労務問題の発生を抑制している側面もある。

また、社会保険労務士が社会保険や労務関連の法令に関する広報を担っている側面もある。全国に80か所ある年金相談窓口に年間100万件ほどの相談が来る。そこで対応しているのはほとんどが委託を受けた社会保険労務士。また、日本では法改正が頻繁に行われるため、中小企業や個人が全てを理解するのは困難。新しい法令に関する情報を企業や個人へ伝達する役割を社会保険労務士が担うことも多い。

弁護士と社会保険労務士は競合というよりも協力関係にある。社会保険労務士は労使紛争においてあっせん(裁判所を介さない労使による話し合いで解決策を見つけること)までしか担うことができない。裁判所が関与する調停へ進む場合、社会保険労務士は弁護士にクライアントを繋ぐ。あくまでも、労使紛争が起こらないようにすることが社会保険労務士の仕事であり、労使紛争が裁判所に持ち込まれた場合は、弁護士にクライアントを紹介することとなる。

日本の国際協力機構(JICA)と社会保険労務士会による支援によって、インドネシアでは日本の社会保険労務士制度に似せた制度を構築中。これまで、BPJS-TK AGEN PERISAI(労働災害保険、年金保険、雇用保険担当)とBPJS-K KADEL JKN(健康保険担当)が作られた。そして、インドネシア政府はこれらを統合し、AGENALISを作った。

インドネシアでは、大統領府直轄の国家職業資格認定委員会(Badan Nasional Sertificasi Profesi: BNSP)が職業資格認定機関(Lembaga Sertifikasi Profesi: LSP)の許認可と資格証明書の発行を行う。この仕組みの下で、現在、社会保険労務士の国家資格創設へ向けた準備が進められている。国家職業技能適正基準(National Competency Standard:NCS)が作られ、それに基づいた国家試験が今後作成される。


注:インドネシア労働省の勉強会における社会保険労務士会小野佳彦さんによる講演を元に作成。誤植等の責任は筆者にあります。

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