今週、ニューヨークで持続可能な開発目標(SDGs)が採択される。合意文章には17ゴールと169ターゲットが明記されている。これは人類に課された壮大なアジェンダに他ならない。しかし、 SDGsは本当に世界を変えるだけの影響力を持っているのだろうか。
私たちは2000年にも今回と同じように華やかな門出を祝った。ミレニアム開発目標(MDGs)は「開発」と「貧困」に焦点を当てていた点で少し異なるが、今回と同様仰々しいムードに包まれていた。ジェフリー・サックスの強いイニシアティブの下、蚊帳、ワクチン、農業技術が世界を救うと信じられていた。多額の予算が国際社会から集まり、MDGsの原動力となった。しかし、MDGsは世界を変えたのだろうか?
正直なところ、私は2000年の時点ではMDGsを評価していなかった。MDGsの援助の実施方法はそれまでと同様にトップダウン方式で多くの限界があった。MDGsのターゲットに縛られた監査システムが余計な手間を生み、それが全ての歪みの元凶だった。援助は救世主になるはずだったのか。それとも、貧困や不平等の根本的な問題に触れることのできないその場しのぎの策だったのか。MDGsは、低開発が資本主義の結果であるという世界秩序を後押しする役立たずだったのか。たしかに、そうかもしれない。
2000年以降何が起こったか思い出してほしい。世界経済や地域バランスの大きな変化があった。西洋やアメリカの金持ち博愛主義者がアジェンダを方向性を決める古典的な援助枠組みが消えた。貧困の減少は中国や一部の新興国の経済成長が理由で、MDGsの成果とは全く言えない。その改善はMDGsのゴールやターゲットのおかげではない。ましてや、大々的に批判されているサックスのミレニアムビレッジプロジェクトのおかげでもない。資本家の野心と経済成長による貢献に他ならない。
しかし、MDGsに対する私の悲観的な思いは、この15年間で徐々に薄れてきた。これがSDGsに対する期待感を私の中で生んでいる。これには多くの理由があり、ここで紹介したい思う。