実務家と研究者が開発を議論する際の課題-実務家の視点
共同研究が世界を変える。研究者同士の共同研究のことではない。研究者と実務家が計画から出版まで、対等な立場で取り組む共同研究だ。過去数年間、国際協力機構(JICA)の仕事を通じて、援助の実施機関にいながら、研究機関と共同研究を行う機会を多く得ることができた。その中で感じたことは、実務家と研究者の隔たりはまだ根強いが、協働することが求められつつあるという時代の流れだ。
JICAはエビデンスに基づく事業展開の必要性を認識し、2008年にJICA研究所を設立した。これによって実務家と研究者が同じ土俵で意見をぶつけ合う場が出来上がった。私は主に、海外の研究機関との共同研究を担当してきたので、今回はその経験から感じた現状と課題をご紹介したい。
課題を一言でいえば、重視するポイントの違いと能力のギャップだ。
古い研究者は実務を雑務と、古い実務家は研究を机上の空論と呼ぶ
まず、重要と考えるポイントに違いがある。実務家は研究の価値を理解できないことが多く、研究者は実務を理解していないことが多い。たとえば、研究論文の場合、過去の文献を引用して概念枠組み(Conceptual Framework)を作り、それに基づいて調査・分析・ケーススタディを行う。しかし、この概念枠組みは、多くの実務家が「机上の空論」とみなしていることが多い。さらに、研究者が使う言葉も、実務家にとっては聞いたことがないような「お経」に聞こえることが多い。
研究者の中にはこれを「実務家の不勉強」と切り捨てる人もいたが、私が出会った一流の研究者は平易な言葉で難しいことを説明する努力と技術を持っていた。たとえば、ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ教授は、誰が聞いてもわかる言葉で議論を展開する。だからこそ、出版する書籍がすべてベストセラーとなるのだろう。実務家も研究者が使う言葉や理論を理解するよう努める必要があるが、研究者からの歩み寄りも必要だ。
時間の考え方も異なる。多くの研究は、タイムリーに分析結果を得ることができない。実務家が求める分析は、多少「雑」であっても、そこそこの説得力があればそれでよい。とにかく、必要な時に直ぐに手に入る成果なのだ。研究論文の場合、計画から成果まで3年~5年を要するものが多く、結果が出なければ案件期間が延長されることも多い。実務家が必要とするタイミングで結果が得られなければ、研究が実務へいかされることはない。実務家にとってタイムラインは死活問題で、遅れることは許されないが、研究者は早さより質を重視する人が多い気がする。
重きの置き方にも差がある。研究者は理論や分析手法が正しいかどうかに重きを置くが、政策提言の部分が極めて弱いことが多い。誤解を恐れずに言えば、多くの実務家にとって、理論や分析手法はどうでもよく、万人が理解できる平易なデータやロジックがそこそこ信頼できるソースから得られれば、それを使う人が多い。手法よりも政策へどう生かせるかが重要なのだ。
実務家は研究能力に課題があり、研究者は実務能力に課題がある
当たり前のことだが、実務家は研究能力を身に着け、研究者は実務能力を磨く必要がある。そうすることで、研究者と実務家が互いに歩み寄り、対等な立場で議論することができるようになるはずだ。小さい話をすれば、実務家と研究者が双方に「先生」と呼ぶ時代が来ると良いと感じる。現状では、実務家は研究者を「先生」と呼ぶ一方、研究者は実務家を「先生」とは呼ばない。ひどい場合には、実務家が研究調整を行い、研究者の身の回りの世話をすることがある。
実務家と研究者の間のギャップを埋めるためには、研究者がマネジメントと事務手続きを一人でこなすことができるようになる必要がある。一方、実務家は、概念枠組みを作って、分析する知見を習得する必要がある。しばしば、実務家の作業を『雑務』と考えている研究者に出会うことがあり、「マネジメントや事務手続きに無駄な時間を取られて研究に集中できない」と言われることがあった。それは実務家にとっても同じことで、『雑務』をこなしながら研究技術を身につけなければならない時代になっている。間違っても、研究者が自分の身の回りの事務手続きをできないからといって、実務家が雑務を肩代わりしてはならない。大切なことは、どちらか一方ではなく、双方が歩み寄ることだ。
今後、エビデンスベースの事業展開が今まで以上に求められることとなる。それは、実務家と研究者が強力なタッグを組む時代の幕開けを意味し、両方をバランスよくこなすことができる人材が求められることとなる。実務家はマネジメントと事務手続きだけでは不十分で、研究者は一部の学者しか読まないジャーナル投稿を考えるだけでは不十分な時代がくる。研究者が認める手法でモニタリング・分析し、エビデンスをベースに事業展開・改善を行っていくためには、実務家と研究者が共同研究を通じて学びあう必要がある。