2006年3月下旬。はじめてのカンボジア。セカンドハンドに参加してから半年が過ぎた時だった。全てはそこから始まったような気がする。カンボジアに校舎を建て、奨学金のプログラムも運営し、医療、孤児、農村開発も手がける四国随一のNGOだ。
カンボジア
カンボジアにおける貧困と脆弱性-バイクタクシーの不運
日常の中に潜む危険。常にどこかに眠っていて、ある瞬間に「ふっ」と現れて脅威となる。途上国の低所得層にとってどれ程過酷なことだろうか。
カンボジアにおけるビジネスと汚職は紙一重
カンボジアの首都プノンペンのど真ん中。一際目立つ豪邸が聳え立っている。地元民なら誰もが知るフン・セン首相邸宅である。独立記念塔の真後ろに位置するこの建物。
プノンペンの朝-インターネット契約
7時半のプノンペンの朝の風は昼間とはまた違って「清清しい」という言葉がよく合う。真新しい真紅の螺旋階段を下りると、朝から地元民が活発に行き来している。この国の朝は早い。
タイとセックス、未成年と旅人がバンコク歓楽街カオサンロードへ消えていく
旅は突然始まり、ふいに終わりを迎える。数ヶ月前に思い立った今回の旅も、一晩考えた結果、そろそろ終わりにしようと思う。そして今、バンコク国際空港にいる。
開発とは何か、カンボジアにて考える-先進国のバックパッカーは何を思う?
開発とは何か。この旅を通して考えてきた壮大なテーマ。先進国がこぞって途上国と呼ばれる国々を「開発」の名の下に変えていっている。お金を出して援助し、その国の最低限の生活水準を引き上げることはとても良いこと。だけど、たいていの場合、少なくとも僕が知っている限りにおいて、先進国の行う開発は物質的に 豊かな社会、便利な社会を作る方向に向かっているように感じる。
バスでプノンペンからバッタンバンの孤児院へ
首都プノンペンから北西へバスで5~6時間走り、バッタンバン州に入った。プノンペンを出てから国道をひたすら真っ直ぐ走ってきた。何もない大穀倉地帯が目の 前に広がった。カンボジアの米どころだ。同時にこの地域はプノンペンに次ぐ大都市でもある。しかし、そこに都会の喧騒はなく、古き良き人々の暮らしらしき ものがあるような気がした。
センソック高校英語教師の話-プノンペン郊外取材
センソック高校での取材の合間に英語教師と話をした。彼はプノンペン市内の大学の博士課程で勉強中だそうだ。それと平行して高校で英語を教えている。「じゃあ、日本人とカンボジア人を1ヶ月だけそっくりそのまま入れ替えたりしたら面白いんじゃない?」
パイリンと地雷とポルポト
昨日のトゥクトゥク運転手の話。「昔はバイクタクシーのドライバーだったけど、バイクを盗まれちゃったんだよ。だから雇われドライバーになって車を運転してたんだ。日本車だったよ。その時に働きながら語学学校へ通って英語勉強したんだ。大変だったけどね。そして働いてお金も貯まって、このトゥクトゥクを買った。1,000ドルだった。」
プノンペンの巨大ビジネス街と郊外のスラム-学校を取材
早朝5時30分にもかかわらず、街は既に走り始めていた。プノンペンは巨大ビジネス街になりつつあるけれど、それと同時に観光産業も盛んだ。そのため、人気ゲストハウスはそれぞれ独自のツアーを組み、観光客の日程に早朝から合わせるのである。案の定、行きつけのCapitolゲストハウスの食堂は満席。