高校時代に自身が経験した貧困体験、サッカー選手になれなかった悔しさを元に、国際協力の専門家になることを夢見て一念発起。JICAでのインターン、総合商社、国際NGO、英国大学院を経て国際機関で勤務する筆者の経験談。
難民キャンプで働いて1年程経った頃、終わらない紛争により日々増え続ける難民問題の根本的な理由について漠然と考え始めるようになりました。なぜ、和平合意が結ばれても、実際の平和は訪れないのか。どうしたら紛争は止まるのか、紛争が終結した後の国造りは誰がどのようにリードしていくのか。
そんなことをグルグルと頭の中で考える日々が続いていた2016年の初旬のとある日に難民キャンプにて豪雨を一しのぎするため雨宿りをしていた際に、一人の青年が私に話しかけてきた。
青年「あなたは、ここで何をやっているのか、何のために働いているのか?」
私 「人助けをしたいと思っている。ところで、君にとって平和というのはどういう状態のことなのかなぁ?」
青年「ディンカ族が世の中からいなくなること」
平和=多民族の共存といったイメージを勝手に持っていた私にとっては、衝撃的な返答でした。
その会話の後から平和の価値について更に考えるようになり、紛争とは、争いとは、どうしたら解決できるのか、現場での経験をもとに更にそういった問への答えじっくりと考えてみたいという気持ちが確固たるものとなってきたため、英国での大学院受験に挑戦することにしました。
英語が苦手だった私にとっては、大学院受験の必須項目の一つであるIELTSという英語試験のスコアを取得することに最も時間と労力が必要でした。また、エチオピアの僻地で受験準備を進めるという環境もチャレンジングなものでした。ともに切磋する仲間がいない、インターネットがないことは日常茶飯事、気温が40度近くに達することも多々ある等々、多くの困難がある環境の中、時間だけが過ぎ中々スコアが上がらない現実に嫌気がさすこともありました。しかし、現場で活動を続ける中でこの分野が勉強したいというものが固まってきていたため、英国で勉強している自分の姿をイメージしながら、何とか1日2時間は勉強するということを自分の中で決め、準備を進めていきました。
2016年の年初に行きたかったロンドン大学と英国開発学研究所(IDS)というサセックス大学にある開発学研究所からオファーを頂く事ができ、結局より実務家を要請する色の強い、英国開発学研究所にて勉強をすることにしました。
具体的に選考したのは、「ガバナンスと開発」というコースで、民主主義と平和や、公共セクターと開発、紛争と開発といった授業を取る中で、専門的な知識に加え、英語を使ってアカデミックに現在起こっている事象を分析する力、手法、英語で物事を分析し、執筆する力の基礎をつけることができました。
純日本人の私にとって、この一年間の修士課程はとてもチャレンジングで、気力、労力、知力、体力を要するものでしたが、良き友人や指導者の助けがあり何とか無事に修士課程をやり遂げることができました。
また、特に印象に残っている授業の一つとして、日本の高度経済成長を牽引した日本の官僚の強味の源泉を探るレポートにて、日本についてこれだけ研究が世界中でなされていることや、日本への尊敬の念を改めて認識するチャンスがあり、自分の生まれた国を知るという意味でとても良い機会ともなりました。そして、私にとっての最大の収穫は、一緒に切磋琢磨した経験やバックグラウンドの異なるクラスメート(20カ国から25人)と繋がれたこと、一緒に同じテーマについて喧々諤々とディスカッションをできたことです。例えば、理想の政府とは何かといったテーマについて、20カ国から来たことなるグラウンドを持った生徒がくると回答も種々多用となるわけでそのバラエティによって、自分の視野を広げることができたと感がており、これは留学の一つの賜物だと思っています。
修士課程が終わりに近づくころ、国連やNGOの空席を見つけては応募するという作業をひたすら続け40個ぐらいのポジションに応募しましたが、運よくインターンをしていたJICAと現在の職場であるUNDP アフリカ地域事務所からオファーを頂く事ができ、2017年9月に大学院を卒業後、10月から現在のオフィス(エチオピアの首都アディスアベバ)にて働いています。
連載も残すところ2稿程となりましたが、次回は現在の仕事の話について記載したいと思います。