乾季の雨。昨夜、乾季のプノンペンに雨が降った。しとしとと降る雨。日本の6月の雨によく似ている。その雨は降っては止み。また降っては止んだ。そして今朝も雨。しとしととまた降っていた。そして夕方も。
職場で外を見ながら話していると、カンボジア人スタッフは口々に『気候変動』という言葉を発する。例年10月で終わるはずの雨季も、昨年は11月下旬まで雨の日が続いた。そしてまた今日も雨。乾季なのに雨。
「また雨か」
そうかと思えば今度はカンカン照りの日々がこれでもかと続く。これにはカンボジア人も『気候変動』のせいと言わざるを得ないようだ。日本やイギリス、あるいは他の先進国でもそうかもしれないが、私たちはメディアの流す情報によって意識を作り上げられる傾向にある。そのため、私が日本やイギリスにいたころには『気候変動』と聞いてもどうも懐疑的にならざるを得なかった。
「果たして、それは真実なのか。はたまた、メディアに流されているだけなのか」
しかし、今ここでカンボジア人の話を聞いていると、随分と説得力を感じる。プノンペンがいかに国内では都会とはいえ、たいていの人々は幼少期を田舎で過ごしてきている。そのため、彼らの生活感の根本的な部分は自然の中にあって、それ故、「朝方のこの時間にさっと雨が降ってすぐ止むようになったら、雨季の終わりだ」などと言うことができるのだろう。ただ、昨今は全く予測ができないようだ。
さて、こうした不安定な気候の移り変わりが貧困層にどういった影響を与えるのか。そういった『気候変動+貧困』の議論が今、開発業界ではとりわけ熱い話題となっている。カンボジアもおそらくその例外ではない。
カンボジアの貧困層の92%は農村部に居住している。そして最貧層の89%が農業に従事している。この統計を見ると一目瞭然だが、農業という最も気候の変動に影響されやすい産業に、貧困層が集中しているのである。つまり、カンボジアにおいて、予測不可能な気候の変化は、直接的に貧困層の生活を蝕む結果をもたらすと予想できる。
また、最貧層の多くは自給自足の生活を送っており、現金収入が非常に少ない状況がある。それ故、一旦気候変動により作物に被害が出ると、それを補うだけの方策が残されていない状況となり、最悪の事態を招く。つまり、貧しいということはそれだけ変化に対して脆弱だということであり、貧困の度合いが強くなればなるほど、気候変動のような突然の変化に影響されやすくなる。
こうしたことから、今カンボジアで貧困を語る際に、気候変動を無視することはできなくなりつつあるのだ。しばしば、日本では『気候変動=温暖化=グリーンエネルギーの導入』といった視点で気候変動はニュースになることが多いが、『貧困』という色眼鏡でそれを見てみると、また別の見方もできるのである。
参考文献
Knowles, J. (2009) Poverty profile and trends in Cambodia. World Bank
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