首都プノンペンを流れるトンレサップ川。その辺にFCCというバーがある。かつてここには外国人記者クラブ(Foreign Correspondent Club)があり、1993年にこのバーがオープンしたとのこと。記者たちは、激動のカンボジアをここから世界に発信し、何を思ったのだろう。
その記者の一人、アル・ロックオフはFCCに小さな小さな写真館を置いた。一階からバーに繋がる階段が、彼の写真館である。市街戦で倒れる兵士。既に息の無い知人を治療する人々。今も変わらぬ面影を残すプノンペンの市街地。全ての写真が当時を思い起こさせる。
その中の一枚に、とても印象深いものを見つけた。1975年4月17日、プノンペン陥落の日。アル・ロックオフは、プノンペンに悠々と入城してくるクメール・ルージュの戦車に乗って人々を撮影していた。映画キリング・フィールドでも描写されているこの場面は、あまりにも痛々しく、そして悲しい。
クメール・ルージュの勝利によって戦争の終わりを願った人々は、その直後にプノンペンを追い出され、農場で強制労働に従事させられた。これによって200万人いたプノンペンの人口はたったの5000人まで減り、大量虐殺と飢餓によって数百万(当時の人口の3分の1)の命が失われたといわれている。
平和を願う人々の思い。これから起こる残虐な歴史。それらを同時に見ることができる一枚が、そこにはあった。