カンボジア

プノンペンのビアガーデンと日本企業の進出-経済成長の表舞台

Photograph: Ippei Tsuruga
Photograph: Ippei Tsuruga

経済成長に沸くプノンペン。地元の市場は見違えるほど整備され、大通りに出れば乗用車がバイクの地位を脅かしている。市民の生活は相変わらず地元の市場から始まり、市民の足は今でもバイクタクシーやトゥクトゥク。しかし、かつて東洋のパリと呼ばれたこの街は、着実に近代化されつつある。街の風景はこの5年で少しずつ表情を変え、人々は新しい時代を肌で感じ、古きよき時代を懐かしむ旅人は変化を受け入れなければならない。

街中に目をやれば何もなかった場所に大きなビルがある。2010年に国際労働機関(ILO)で勤務していた頃通っていたプノンペンセンター。ビルドブライト大学と同じビルに入居している点は今と変わらない。オフィスのトイレから見える風景は見渡す限りの空き地。ある日どこからともなくやってきた家族が洗濯物を干し、鶏の鳴き声がのどかな時間を演出していた。

そんな場所も今やビアガーデン(Sambath Tonle Bassac Night Market)へと姿を変えた。日が暮れるとバンドの生演奏が鳴り響きプノンペンの若者でにぎわう。外国人が少ないこの場所は、プノンペンのOLやサラリーマンの仕事帰りの一杯の場所なのだろう。一度食事をすれば支払額は30ドル。日本の居酒屋と変わらない料金と質がそこにはある。劇的に改善したプノンペン市民の生活水準を反映しているのだろう。

日本企業の進出も著しい。バンコクからプノンペンへ到着する機内から見下ろせば、工場の屋根には「ミネベア」の文字。日本企業もプノンペン経済特区に進出しはじめている。プノンペン国際空港の周辺は相変わらず地元の人でごった返しているものの、5年前にはなかった工場やアパートが隣接している。ポチェントン地区をはじめて歩いたのは2006年。ポチェントンヘルスセンターの周りは何もなかった。今や綺麗な道路が真っ直ぐ空港まで伸び、トゥクトゥクより乗用車が目立つ。

カンボジアの最大の支援国は日本。開発が進めば日本人も当然増える。日本人が増えれば日本の生活用品や食品の需要が高まるのも必然。ビアガーデンの通りの先にはイオンが見える。イオンモールプノンペンは2014年に完成して以来、プノンペン在住日本人の生活を劇的に変えた。その隣には2015年中のオープンを目指す東横インの巨大なビルが見える。日本からの出張者はここに泊まり、日本にいるときと同じような食事をとって滞在するようになるのだろうか。中国語で埋め尽くされている市街地に日本語の看板が並ぶ日もそう遠くはないのかもしれない。

当時何もなかったプノンペンセンターの裏側は今や、カンボジアの経済成長の表舞台にすら見える。そこを行きかう人々の生活は輝かしく、成長の「影」の部分を見ることはできない。開発の表舞台で喜劇を演じる役者たち。数年前のプノンペン。ふと気づけば、夕日に照らされるメコン川を眺めながら昔の情景を思い出していた。

Tonle Sap River Street, 2009

Photograph: Ippei Tsuruga
Photograph: Ippei Tsuruga

Tonle Sap River Street, 2015

Photograph: Ippei Tsuruga
Photograph: Ippei Tsuruga

Phnom Penh, 2006

Photograph: Ippei Tsuruga
Photograph: Ippei Tsuruga

Phnom Penh, 2015

Photograph: Ippei Tsuruga
Photograph: Ippei Tsuruga

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