国際

一粒のコメ、持続可能な消費

「私が子供のころには、ご飯茶碗にコメ粒一つ残しただけで親から叱られたものですが、最近の親は子供にそうしたしつけをあまりしないんでしょうか」と親しい同年代の友人に言われ、自分にも同じような経験があるのを思い出した。「この一粒のお米は農家の人たちが一年もの時間をかけて、汗水かいて苦労して作ったのだから、それを無駄にしたらバチがあたる」と、小学生の頃、父から説教された記憶がよみがえる。

農林省の平成29年の資料によると、日本における国民一人あたりの食品ロスの量は、なんと毎日、一人あたりおおよそ茶碗一杯分のご飯の量に相当するそうだ。コメ粒一つ食べ残して叱られた昔を思い出すとその量にビックリする。可食と考えられる日本の食品ロスの量は年に約621万トンに及び、これは世界の年間の途上国等への食料援助量の約2倍に相当するという。そのうち、家庭から廃棄される食品ロス(食べ残し、過剰除去、直接廃棄等)は4割以上を占め、それにレストランなどでの食べ残しを加えると、全可食分廃棄量の7割近くになる。これらは、日常生活の中で個々の努力次第で大きく減らすことが出来るはずなのに、なぜなのだろうか。飽食の時代と言われて久しくなるが、近年、飽きるほど十分に食べることが出来るほど、日本人は食べ物に不自由しない生活を手に入れた。しかし、それと食べ物を無駄にしたり意味なく腐らせることとは違うはずだ。

私は、大学の講義の中で、学生達にトマトの話をすることが有る。一つのトマトの値段が例えば30円とする。貨幣経済の浸透で、ものの価値をお金で判断するように知らないうちに飼いならされた我々は、そのトマトを食べずに捨てたり、腐らせて廃棄してもたかだか30円の損だから、と思ってしまう。しかし、よく考えれば、一つのトマトを生産するのに、種や肥料や多くの水が使われ、その上、何か月も苦労を費やした生産農家の労力、輸送・貯蔵・販売する為のエネルギーや労慟など、多くの資源や労力を要している。一つのトマトを食べずに捨てたり、腐らせることは、これらの限りある貴重な資源や時間をかけた労力が一瞬のうちに失われ無駄になったことになる。それどころか、それが腐って発生するメタンガスは、地球温暖化に大きな影響を与え、我々の将来の生活を蝕むことになる。食べ物を粗末にする我々に,その罰が回ってくる日が近いかもしれない。

THE POVERTIST 2018年10月1日号

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THE POVERTIST 2018年9月1日号

新興国の挑戦 2018年9月1日号 好況が続く世界経済は、中所得国を高所得国へ押し上げただけではなく、多くの低所得国を中所得国へ「卒業」させた。「中所得国の罠」で語られるように、中所得国は特有の新しい挑戦に立ち向かわなければならない。

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