ゆっくりと話し始めた彼の言葉に何度も頷いたのを覚えている。日常生活とどこか遠くの国で起きている事とが、僕の中で一本の線で結ばれた瞬間だった。彼は僕の英語の先生であり、始めて接する根っからのベジタリアンだった。彼はその日もいつもと同じように、たわいもない会話から授業を開始した。その前置きの中で、「なぜベジタリアンなのか」という質問が彼に飛んだ。彼はこう答えた。「昔は肉を食べていたけれど、肉を食べることは世界の貧困問題に勢いをつけることに気づいたから」と。それまで僕は、宗教上肉を食べられなかったり、肉を体が受け付けなかったりする人が野菜ばかり食べるものだと思っていた。彼によると「肉は食べられるし、おいしいとは感じるけれど、よくないことだから食べない」とのことだった。
日本で生活していると肉は常に身の回りにあり、それを食べることにあまり疑問を抱かない。肉消費を減らそうとする人の多くは、自分の健康管理やダイエットの目的だったりする。あまり肉を食べることに「罪悪感」を持ったことはないのではないだろうか。少し簡単な数字を使って考えてみたい。牛肉1kgを生産するのに20~30kgの穀物を牛に食べさせなければならないとのこと。言い換えると、ステーキ1kgを食べることは20kg以上の穀物をたった一人で消費してしまっていることになる。英語の先生の話をここでやっと理解できる。僕が昨晩食べたウインナーや豚肉にはその何倍もの穀物が実は含まれていて、それらを1kg食べる毎に20人分の穀物を独り占めしてしまっていることになるのだ。
世界にはすべての人々が食べるのに十分なだけ食糧があるものの、誰かが独り占めしてしまっているがために、全員には行き届いていない。貧しい国で生産された穀物はその国の人々の口へ入るのではなく、姿を肉に変えて僕たちの食卓へ並んでいる。しかしながら、肉食を完全に止めることは難しいのも事実。少なくとも、僕にとって肉は大切な食事の一部である。もしかすると、肉はもっともっと高値で取引されるべきなのかもしれない。ステーキ1kg2万円の時代がいつか来るかもしれない。わからないけれど。
どこに解決法はあるのだろうか。