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国際機関邦人職員インタビュー:ILO 敦賀一平さん

今回は、国際労働機関(ILO)のアジア太平洋総局(バンコク)で、社会保障プロジェクトのプロジェクトマネージャとしてご活躍中の敦賀一平さんに、オンライン・インタビューをおこないました。敦賀さんは、ジュネーブのILO本部からバンコクに異動されて、9月で半年になります。

ーージュネーブからバンコクに移っていかがですか?

私生活は随分変わりました。ジュネーブではほとんど人に会うことは無かったですが、バンコクは道路に出れば人はたくさんいますし(笑)。職場の環境としても、オフィスワークというのは変わらないのですが、ジュネーブはリサーチが主な仕事であったのに対して、こちらでは人に会う機会が多いので、実際に顔を見せて、支援される国の人と会いながら仕事ができる、そういう違いはありますね。相手がいる仕事により近くなったので、締切りがある仕事が多くなった、ということはより忙しくなったということはあるんですが(笑)。ジュネーブでは、あくまでもリサーチで質の高い文章を作ることに重きがある仕事をずっとやっていたので、随分生活は変わりました。

ーー敦賀さんとしては、より充実感を感じている、ということでしょうか。

そうですね、ジュネーブで2年間、同じ社会保障局で仕事をしていましたが、リサーチを2年間やっていて、デスクレビューを中心にやっていた時に比べると、人の顔が見えるということで、リアリティを持って仕事ができるというか、本の中だけで仕事をしていないという、手に取るような感覚があります。この5ヶ月はより充実しているかな、と個人的に思います。どちらがいいかという話ではないですが、違う仕事の種類で、十分楽しめているという感じですね。

ーー敦賀さんは、バンコクの前はジュネーブにいらっしゃって、その前はJICAで勤務されていらっしゃいましたが、簡単に現在のポストに至るまでの経緯を教えていただけますか。

元々、北海道の田舎生まれ・田舎育ちで、学部まで国内にいて、そのあとイギリスの大学院に一年修士号を取りに行きました。イギリスの大学院を卒業した後、JICAに新卒で入るまでに半年間時間があったので、そこでインターンとしてたまたま拾ってもらった、というのがILOとの最初のつながりです。

ーーそれは、どちらの国ですか。

ILOのカンボジア・オフィス(プノンペン)で、2009年だったと思います。児童労働のIPEC (International Programme on the Elimination of Child Labour)というプログラムがありました。大学で社会保障も若干学んできたというベースがあったので、「子供と社会保障」みたいなトピックでインターンシップを半年間させてもらいました。

ーーその後で、JICAに就職されたのですね。

そうですね、新卒で2010年の4月に入社して、最初の2年間はアフリカ部に籍を置き、ケニア・ナイジェリア・ソマリア・エリトリアの国を担当していました。東京のデスク・オフィサーという形ではあったのですが、そこからアフリカに出張して、現地調査や現地のカウンター・パートと話をしながら、新しい案件の企画・形成、実際に動いている案件のモニタリングと評価、そういったオーバーオールで見るような仕事をしていました。簡単に一言でいえば、日本のODAのそれぞれの国の戦略を作るようなところから、個別の案件の企画・形成までやった、という感じですね。それが新人時代の2年間です。

次の2年は、東京の市ヶ谷にあるJICAの研究所に所属していました。そこでは、海外の研究機関との共同研究を中心に仕事をしていました。自分が研究者としていたというよりは、また共同研究の企画やマネージメントを主にやっていて、自分のキャパがある限り、一緒に研究会に参加させてもらったり、自分のペーパーを書いて出したり、ということをしていました。

その次の2年間は、アメリカのワシントンDCのJICAオフィスに駐在することになりましたが、そこでも同じような仕事をしていましたね。JICAの研究所で取り組んだ共同研究の相手がアメリカにもたくさんいるので、そことの連携を現地で引き続きやりました。ちょうどSGDsが採択される年(2015年)だったので、その関連のフォローもしていました。その頃にJPOに受かったことから、JICAを退職して、ILOのジュネーブの社会保障局に入りました。2年の活動を終えて、今ここにたどり着いた、という感じですね。

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