どの産業でも人材育成が大切であることは周知の事実であるが、一口に人材育成と言っても育成する対象や分野は多岐にわたる。それゆえ、人材育成をスローガンとして打ち出すことは簡単だが、課題解決に直結する有効的な人材育成のシステムを作るには、時間をかけて生産現場を観察して本当のニーズを見つけ、その産業の国際市場における立ち位置を把握し、産業の展望を見据えて、目指すべき人材育成のゴールを設定しなければならない。
今回は、筆者がJICAプロジェクトチームとして携わったパキスタンのアパレル産業人材育成支援において人材育成のゴールや活動を設計・実行する過程を例に挙げ、今後の新興国における産業人材育成支援に応用できると思われる教訓をまとめたい。
調査から始まった人材育成プロジェクト
2016年6月、JICAプロジェクトチームの仕事は、パキスタンの商業繊維省から要請された「技能人材の育成」を実際のプロジェクトとして形にすべく、現状とニーズを精査するところから始まった。商業繊維省の五カ年計画(Texitile Policy 2014-2019)[1]の冒頭では、「繊維産業全体で280万人、中でも付加価値の高いセクター[2]で250万人の新規人材が必要」と述べられており、「300万人の新規雇用を創出する」、「能力強化のための職業訓練、インターンシップ、生産性向上のための新規プログラムを導入する」、「専門職や監督者層のための訓練を促進する」といった人材育成に関連する目標が立てられている。しかし、この政策を実行するための具体的なアクションプランは作成されておらず、生産現場でどの職種のどの技術が不足しているのか、政府も、業界を代表する製造企業組合すらも認識できていない状態だった。よって、プロジェクトチームはまず実態を把握するための調査を始めることにした。
まず、人材育成ニーズ調査と題して、パキスタンの三大繊維都市のうちの二都市、ラホール(Lahore)・ファイサラバード(Faisalabad)とその近郊[3]に位置するアパレル製造企業60社に足を運び、生産現場の観察と経営者・人事担当者に質問票・インタビュー調査を行った。調査の分析まで含めると、実に半年の時間がかかった。カウンターパート(C/P)である製造企業組合の事務局員と職業訓練校の就職促進担当者、日本人専門家の三者で調査チームを構成した。調査の過程では、日本人専門家からC/Pへ、なるべく調査方法や分析方法のOJTを行うようにした。
また、同時期に国際市場動向調査も実施した。この調査ではパキスタンのアパレル産業の概況、国際的なアパレルビジネスの動向や潮流、バングラデシュやベトナムなどパキスタンの競合するアパレル生産・輸出国の現状を分析していった。
二つの調査から見えたこと
人材育成ニーズ調査での工場の生産現場の観察からは、職業訓練校で育成されている人材と生産現場が求める人材の職種やコンピテンシー(職能水準)に大きなギャップがあることを確認することができた。このギャップを埋めるためには、職業訓練校で行われている教育の仕組みを生産現場が求める人材を養成できるような仕組みに変えていかなければならない。職業訓練校では業界が求める職種の科目を開講する、使われるカリキュラムは業界ニーズに沿った内容に改訂する、そのカリキュラムは公的に技術水準として認定する、その技術水準で教えられる教員を育成し、全国の職業訓練校に普及させる、職業訓練校から就職した労働者に対する企業側からの評価を再度カリキュラムや訓練に反映させる…等々、これだけでも大掛かりな支援事業になる。
次に、訪問した製造企業の経営者・人事担当者たちとのインタビューを通して興味深い結果が得られた。その一つは、製造企業たちにとって特にニーズが高かったのが有能な中間管理職や専門職の育成であったことである。多くの企業が、生産管理や品質管理のわかる技術者で、且つ生産現場のマネジメントができる中間管理職の育成、そしてマーチャンダイザーやマーケティング担当と呼ばれる専門職の育成に悩んでいた。実際、優秀な大学の卒業生は厳しい労働環境で働くブルーカラーワーカーとなることを敬遠し、現場を経験しないホワイトカラーのキャリアパスを選んでしまう。また、生産現場を見ていても、部門を超えてムダをなくし生産性を上げるような生産管理技術を持つ管理職はなかなか見当たらなかった。また、マーチャンダイザーやマーケティング担当は、その企業の受注や売上を左右する重要なポジションで、座学の知識よりも実務経験がモノを言う専門職である。技術系中間管理職もマーチャンダイザーやマーケティング担当も企業外で育成することが難しい一方、企業内で育成してもすぐに条件の良い他の企業に転職してしまうと経営者や人事担当者たちは頭を抱えていた。
二つ目は、就職する前に職業訓練校で身につけておいてほしいこととして、縫製や検品などの職務に直結する技能の他に、ソフトスキルや繊維科学の基礎といった回答が多く挙げられたことである。この場合のソフトスキルは、上司や同僚との間のコミュニケーションやホウレンソウ(報・連・相)スキル、タイムマネジメントといった、いわゆる社会人としての基礎的能力を示していた。確かに、中等教育卒業程度の学力で一度も企業勤めをしたことがない若者たちのマインド・スキルと企業の求めるそれのギャップを職業訓練校にて埋めておくのは雇用者・労働者双方にとって有益である。加えて、生地や糸の種類など繊維科学の基礎も身につけてきてほしいという。
国際市場動向調査は、実はマーケティング戦略を策定するための別活動の下準備として位置付けていたのだが、その結果は人材育成モデルを検討する上でも非常に役に立った。なぜなら、この調査で導き出された産業界の現状や動向の客観的な情報と、人材育成ニーズ調査から判明した、今業界が求める主観的な「内なる」人材ニーズの情報とを合わせることで、将来必要な人材像を分析することがようやく可能になったからである。例えば、パキスタンの製造企業の取引のほとんどはOEM生産の形態で、比較的安定して受注を取ることができていたことから、新規顧客を獲得する積極的な売り込みや自社のオリジナルデザインを売り込む経験が業界全体を通じて乏しい。ところが、OEM生産は基本的な生産ラインを動かす技術さえ整っていれば、FOB価格の安い場所を生産地として次々にシフトしていくことから、今日受注が取れていても、明日安い労働力を武器にする企業や国が台頭したり、輸送費が高騰したりすると、あっという間に仕事がなくなってしまうというリスクを抱えている。この先、パキスタンがこのままOEM生産国の地位を守り続けることを選ぶなら、より高い生産性やコスト削減を実現するための高度な生産管理や品質管理分野の人材育成が急務だ。別の選択肢として、もしODMバイヤーにも売り込んでいける次のレベルへ移行するのであれば、パキスタンのアパレル業界では新しい職種となる「輸出製品向けのデザイナー」の育成や「商品開発」部門の確立が不可欠であるし、営業・マーケティング担当も海外の展示会での魅せ方や売り込み方を経験していかなくてはならない。ちなみに、この選択は企業の経営者たちの意思にかかっているが、残念なことに、この肝心な経営者たちが井の中の蛙の状態で国際的な動向に疎いことも明らかになった。
設計した人材育成支援と、持続的に継続するための環境づくり
上記の調査結果や度重ねた議論を踏まえて、C/PとJICAプロジェクトチームが取り組み始めているのは、以下のように様々な階層を対象とした複合的な人材育成支援である。
- 職業訓練校の講師向け技術研修用教材の開発・改訂とそれを用いた指導(既に開講していた縫製科目や機械科目等に加え、アパレルデザインや検品の科目を加えた)
- 職業訓練校でのソフトスキル指導やキャリアセミナーの導入
- 職業訓練校での製造企業の中間管理職やラインリーダーを対象とした短期コースの実施
- 製造組合事務局員と展示会出展企業に対する海外展示会での実地営業指導
- 商業繊維省と製造企業組合共催の、産業界の企業経営者やマーケティング担当者を対象にしたマーケティング(競合国分析、国際市場動向、デザインとブランディング、コンプライアンスなど)に関する定期的な啓発活動
以上の活動は、パキスタンのこれからのアパレル産業に必要な人材育成全体の中のほんの一部に過ぎないが、その端緒となる重要な活動である。これらの活動を通して期待されているのは、産業界と職業訓練校と政府の関係者の関係強化だ。言い換えれば、人づくりの担い手たちが協力して人材育成の活動を発展させていける土壌をつくることである。各機関が独立して動き、各々の組織内で全て完結してしまう傾向が強いパキスタンにとって、現在の人材育成の活動を一過性のもの、閉鎖的なものにしないためには、一体感や連帯感を作り出し、関係者同士が同じ意思や目的を共有する環境を整えることが極めて重要だと思われる。
実はそれまで、プロジェクトで技術移転の対象となっている職業訓練校は業界内での知名度が低く、ほんの一部の企業にしか卒業生を送り出せていなかった。製造企業組合も、企業にとっては企業登録や関税手続きといった事務手続きでお世話になるくらいで普段ほとんど関わりのない組織となっていた。そんな中、商業繊維省、職業訓練校や製造企業組合とJICAプロジェクトチームが合同でセミナーや短期コースを行うことによって、企業群との接点が増えて認知度も上がり、彼らと企業が情報交換を行う機会が格段に増えた。
それから、特に上記の五つ目に挙げた活動、「製造企業の経営者やマーケティング担当者への啓発」において、注目すべき意識の変化が起こりつつあるのでここで紹介したい。プロジェクトチームは、プロジェクト開始から二年間、定期的にセミナーでの講演や政府・組合・製造企業・バイヤー企業の対話を通して、様々な角度からパキスタンのアパレル産業の立ち位置を客観的に伝え、じわじわと関係するアクターに刺激を与え続けてきた。中には、縫製大国となったバングラデシュとの冷静な比較分析もあれば、途上国でブランドを立ち上げて成功したデザイナーのストーリーもある。すると、プロジェクトが開始して二年ほど経過した頃に、一製造企業組合が、組合に登録する企業が自由に利用できるデザインラボをつくりたいと提案し始めたのである。このアイディアがどれだけ有効かという議論はあるものの、「意思」を持って自分たちで進路を選択して一歩を踏み出したことは感慨深い。
一方で、限られた予算や時間制約のためにプロジェクトの中で対応できない部分もある。その場合は、手が届かない部分を明らかにしてカウンターパートに理解してもらい、これまで関係の薄かったリソースを利用することや、他のドナーと協力して行うことも手である。例えば、技術系マネジメント人材を育てるためには、パキスタン国内でMBAに強い大学と生産工学や繊維技術に強い大学の混合プログラムを開設して、卒業後は大学が提携した企業に確実に送り込むといった仕掛けをつくることもできる。同様に、輸出製品向けのデザイナーの輩出には、繊維技術系大学とデザイン専門学校のダブルディグリープログラムを開講することも有効であろう。特に素材・商品開発の分野では、このようなアカデミアと企業の産学連携の促進が現状を打開する一つの突破口となるかもしれない。また、改訂したカリキュラムの公定認証化をGIZ(ドイツ国際協力公社)と協力して進める予定である。
本プロジェクト終了まで二年間ある。これらの取り組みの結実に期待したい。
教訓
産業人材育成のプロジェクトで確実に成果を出したいのなら、技術移転を行う前に、敢えて実態調査と課題整理を徹底して行うべきである。現場に足を運びながら、その産業を内と外から把握するのには相当の時間がかかることをプロジェクトの設計者も実施者もよく理解しなければならない。現場を観察することで、当事者が気づいていないギャップを発見でき、実態に即したゴールを設計することができる。
それから、人材育成を発展させていくためには、次のようなサイクルをただ実施するだけでなく、当事者たちが自力で回せるための支援をすることに注力すべきである。過程を一通り、一緒に取り組みながら、小さくても一つでも多く成功体験をつくり、「自分たちでもできる」という感覚を身につけてもらうことが大切だ。
- 実態把握:産業の概況調査、人材ニーズの調査、部門・職種別技術レベルの把握
- ゴール設定:その産業成長戦略に沿ったゴール設定と育成課題の優先順位づけ
- 育成モデル形成:技能・技術のギャップ分析、コンピテンシー(職能水準)づくり、カリキュラムの作成
- 人材育成の実行:技術訓練や啓発
- モニタリング・評価
- 再計画:育成モデルへの反映や改訂
最後に、産業の未来の展望なくして人材育成のゴールは作れない。今日の業界からの主観的なニーズと実情との客観的なギャップ、加えて将来この産業がどのステージで戦えるようになりたいかという希望の三つを組み合わせて、初めて必要な人材像が浮かび上がってくる。その産業の未来は、「意思」が創る。企業の中でビジョンやミッションを掲げ、戦略を立て、どの人材や技術に投資するかを決めるのは経営者の意思である。企業たちの意思を集約して先導するのは組合の意思で、その実現に力を貸すのは政府の意思だ。私たち援助に関わる者の役割は、黒子になって、辛抱強く、新しい風を吹き込んで選択肢を提示しながら、業界全体の意思の萌芽の手助けすることである。
筆者が実務の現場で関わってきたパキスタンのアパレル産業の事例を基に、製造業の産業開発に関連するテーマを従来の理論や最近の議論の潮流に照らし合わせながら掘り下げていく。その中で、現場目線や裨益者目線での開発課題、筆者が現地で直面した葛藤や苦悩にも触れていきたい。今後、人材育成、雇用と労働の分野を中心に、以下のテーマを順に取り上げてみたい。
- パキスタンの産業人材育成の現場から
- 新興国の一大産業、戦略の舵は誰がとるべきか(前編)
- 新興国の一大産業、戦略の舵は誰がとるべきか(後編)
- 産業の人づくり支援、現地に意思が宿るまで
- 「働く」ことの価値
- 労働者保護と社会保障
- 女性の雇用促進
[1] Ministry of Textile Industry Government of Pakistan. 2015. Textile Policy 2014-2019.
[2] サプライチェーンの川下にあたる最終製品の繊維製品、中でもアパレル製品が高付加価値製品と呼ばれている。原綿や綿糸、綿布など原料に近い方は低付加価値製品と呼ばれている。
[3] パキスタンのビジネスの中心地であるもう一つの繊維都市カラチ(Karachi)と比べてこの二都市は少し出遅れてしまっているのと、特にファイサラバード(Faisalabad)にはラホール(Lahore)から移転する工場が増え、近年人材需要が高まってきていることもありプロジェクトの対象地として指定された。