近頃のニュースを見ていると、公務員の給与について、日本では随分と叩かれている。「この不況下に何故公務員の分際でそんなに高い給与をもらっているの か」とのことらしい。その一方で、カンボジアでは「公務員の給与を一刻も早く上げなければならない」という声が日に日に強くなっている。この差はどこにあ るのだろうか。
教師
カンボジアでは、教師の給与は月に$20から$30。これは国際貧困線である1日1ドル以下の生活を強いられることを意味する。ちなみに、カンボジアの貧困線はおおよそ$0.5なので、これよりは何とか上をいっている給与水準である。つまり、カンボジアの教師の報酬は、「ギリギリ」貧困層としてはみなされない程度の水準にある。 もちろんこれでは教師も生活していけない。そのため、教師の中には公立校で教える以外に、学習塾を開講しているものも多いと聞く。また、こうした副業の機会も限られ、生活環境の厳しい農村部へは、教師もなかなか赴任したくないのも現状だ。そのため、都市部に優秀な教師が集まり、農村部との教育格差が近頃は問題となっている。こうしたことを踏まえ、教育支援をしている援助機関はしきりに教師の給与水準を上げ、カンボジア、とりわけ農村部の教育水準を上げるよう政府に要請している。実際に副業のほうが本業よりも収益を上げるものも多いと聞く。それでは公立校の教育にも力が入らないのも無理はないのではないか。
警察
日本ではよく、警察を見ると悪いことをしていなくても怖くなると言う人が時々いる。何かやましいことをしているような気がしてくるそうだ。これがカンボジアになると更にたちが悪い。何も悪いことをしていない(ように見えても)くても、何か理由をこじつけられて罰金を取られることが多々ある。たとえば、バイクで走っているときに急に止められ、整備不良との理由で罰金を取られたり、普段はノーヘルでも止めないのに、あるときだけ止めて罰金を取ったりというのは既に日常の光景となっている。また、事故を起こした際には警察が来る前に当事者間で示談をまとめるのが一般的と聞く。それは警察が介入すると何か理由をこじつけ、金を徴収すると専ら信じられているからだ。こうした一連の出来事は、警察の給与が著しく低いためであり、彼ら自身の生活のために給与支給日前は取締りを強化し、罰金をポケットに納めると、一般に信じられていることに由来する。
その他公務員
一度あった例を挙げると、公的に販売している資料やグッズなどを、「ディスカウント」すると言われたことがある。こちらは得をするのだが、おそらくその販売金は彼ら自身のポケットに納められ、会計簿には載らないのだろう。こうした公刊資料のいくつかには、実は複製品も混じり、それを政府の組織も売っていたりする。一冊丸ごとコピーするのに数ドルしかかからないのでこうしたビジネスも副業として存在しているのだろう。
カンボジア v.s. 日本
さて、これらを汚職というか、やむを得ない副業というか、判断は難しいところだ。しかし、今カンボジアは汚職を撲滅するために給与水準を必死になって引き上げようとしている。一方で、日本は公務員の給与をどんどん下げている。はたして、汚職がはびこる境界線はどこにあるのか。
昨今のこうした流れを汲んで、日本の優秀な人材は公務員に憧れを見出さなくなってきたと聞いたことがある。以前は官僚を目指していたような人たちも、今はビジネスの世界であったり、もっと金銭的に評価される分野へ進むようになっているようだ。
たしかに、年収2000万円を稼ぐ能力のある人が、年収500万円程度でも「日本を良くしたい」との志をもって公務員として働いていたとすると、それ以上減額されたのではその志も折れてしまっても仕方がないのかもしれない。そうした優秀な人材が日本から出て行ってしまったとき、日本はどうなるのだろうか。誰が得をして、誰が損をするのか。
数十年後、カンボジアと日本はどうなっているのだろうか。興味深い。