5月初旬、タイの首都バンコクから車で北へ2時間ほどの所にあるロップリー県の、プラバートナンプ寺を再訪した。「エイズ寺」の異名で知られるこのお寺は、身寄りや引き取り手のないエイズ患者を無料で受け入れている。
ここを最初に訪れたのは今から17年ほど前。事情を知らない私にとっては興味本位の訪問だった。ところが、境内の一角で、死んでいったエイズ患者たちのミイラがあまりに生々しく展示されているのに遭遇して、強い衝撃を受けた。次世代への戒めにと、患者たちが自分の屍(しかばね)をさらすことに躊躇(ちゅうちょ)せず、死後にミイラとして展示されることを承諾したのだという。
タイでエイズ患者が最初に確認されたのは1984年、米国留学から帰国した大学生だったという。その後、88年ごろに患者数が急増、92年に最初のピーク(同年約11万5千のケースが発生)があった。いったん、勢いは弱まったものの97年から99年ごろにかけて2度目のピークを迎えた。
ピーク時にはどこの病院も満杯で、家族もこの病を怖がり患者を家に寄せ付けず、それ故エイズ患者は行き場もなく、エイズ寺にこっそりと捨てるように運ばれてきたと聞いた。特に悲惨だったのは、風俗の仕事をしながら田舎の両親に仕送りを欠かさずしていた、親孝行の若い娘がエイズに感染し、両親や兄弟、友人にも見放され、エイズ寺でひっそりと死んだ話だった。
このお寺がエイズ患者を受け入れ始めたのが94年。エイズに対する大衆の理解も乏しく、寄付がなかなか集まらず、住職のウドムプラチャートーン師は半ば変人扱いされながら、自ら街に出て地道に募金を呼び掛けていた。当時は効果のある薬もなく患者は死後、境内で火葬された。境内には、人骨を入れた30センチ四方ぐらいの白い袋が、土のうのごとく何百も積み上げられていたのにまた驚いた。
あれから約17年の歳月が過ぎた。今は、完治しなくとも延命効果のあるエイズ薬が開発され、死亡率は大きく低下した。境内には一般からの寄付で集まった食料や生活用品が所狭しと積み上げられ、住職に敬意を伝えに来た人々で長蛇の列ができていた。
国連の最新の統計では2017年度のタイのエイズ感染者数は44万人(同年度の死者1万5千人)で、うち4割が女性。タイはアジアでは人口大国のインド、インドネシアに次ぎ3番目に感染者数が多いが、対総人口比ではタイが突出している。新しい薬の効果で、感染者は発病を抑え普通の暮らしができるようになったことは喜ばしいが、保菌者として治療は続く。ちなみに日本の感染者数は17年が2万8千人(死者200人以下)で、そのうち男性が約9割、新規感染者は1,500人であった。
この記事は新潟日報に掲載されたものです。