2015年12月、世界貿易機関(WTO)が“歴史的”と自ら呼ぶような大きな成果をナイロビでの閣僚級会合で発表した 。地域貿易協定や二国間貿易協定の興隆により、貿易枠組みを決定するWTOの影響力は弱まっていると見られる中、長らく懸案だった農産品輸出への補助金の廃止が決定された。途上国=農業国、先進国=工業国(非農業国)がイメージされるかもしれないが、実際は先進国は食料輸出国でもある。例えば2014/2015年の小麦輸出国・地域のトップ6はEU、ロシア、米国、ウクライナ、オーストラリア、カナダとなっており、例えばアフリカ諸国が輸入する小麦のほとんどはフランス産だ。先進国では農家へ様々な補助金が出されており、そのうちのひとつである輸出向け農産物への補助金は国際市場で自国の農産品が価格競争力を持つことを目的としたものだが、自由貿易の観点からは市場の公正性を歪めるとして廃止されるべきだとされてきた。
実際には先進国において輸出補助金と同じような効果をもたらす国内向けの農業補助金制度は残るものの、この合意によって、市場競争はより公正になり、これまで輸出補助金で支援されていた先進国(主に米国とEU)の農家との競争を余儀なくされていた途上国の農家にとっては朗報だと伝えられている。他方で、不公正な貿易の是正としては十分でない、そもそも農業は保護すべきだという声も市民社会、農家組織からは挙がっている。
一方、食料農業機関(FAO)は「農産物市場の現状報告書2015-16(The State of Agricultural Commodity Markets 2015-16 (SOCO))」を同月に発表、貿易と食料安全保障の論争の分析を行っている。報告書は貿易の食料安全保障へのインパクトは一律には言えないとしつつ、①貿易自体は食料安全保障の脅威でも万能薬でもない、②貿易はその国の農業構造に影響を与えるものであるため、貿易政策は十分に検討される必要がある、との分析結果を示した。ナイロビでの合意やそれへの市民社会からの反応はこの分析、特に後者に関連する例と考えられるだろう。
開発の文脈で考えてみた場合に、“Trade, not Aid”、“Aid to investment”、などのスローガンは開発を語る上でしばしば聞くもので、援助よりも(または援助と同様に)貿易や投資が開発の役に立つという考えもある。そのため貿易振興や投資呼び込みのための支援を援助で実施するケースもあるが、食料の場合は輸出促進にしても投資呼び込みにしても何かと物議をかもす。特に最近よく話題になるのが、途上国での外国資本による農業投資事業だ。ガバナンスの弱い国で外資による事業が実施されることで、地域で消費される食料よりも輸出用の換金作物が生産されたり、公式な土地所有証明を持たない住民の追い出しが起こったりと、周辺の住民の土地所有権、天然資源へのアクセス権、ひいては食料への権利を含む人権侵害のリスクがあると見られている。特に土地の取得を伴う投資の場合はそのリスクが高まり、土地収奪(Land grabbing)と呼ばれ厳しい批判に晒されている。
ただ、本来貿易はその財の交換が双方にとって利益があるから発生するものだし、投資は(土地収奪のようなケースは論外として)将来の資産を増やすために行われるものだ。もし貿易も投資も財や資産の増加に貢献するものなら、なぜ食料に限ってはどちらも否定的に見られるのだろうか。それを理解するためには、よく一体的に語られる食料と農業が同じものではない、ということを認識する必要がある。
次回は食料と農業のうち、「取引可能な財」という視点から食料を考えてみる。
- 農業開発の倫理とは-食料貿易論争を通じて見える2つの視点(1月26日掲載)
- 貿易は脅威でも万能薬でもない(1月27日掲載)
- 食料-取引可能な財(1月28日掲載)
- 農業-途上国の多くの人びとのなりわい(1月29日掲載)
- 農業を巡る倫理的観点-経済・社会的観点とは異なる視点(1月30日掲載)
- 開発でも2つの視点を(1月31日掲載)